vol. 02
Defi
Akiさん
売れる美容師が持つ様々な成功事例。どのような想いで美容師人生を歩み、サロンワークに取り組み、そして成功へと至ったのか。このコーナーではそんな成功事例を皆様にご紹介していきます。第2回目は、大阪市都島区のDefi(ディフィ)でスタイリストとして活躍されているAkiさんにお話を伺いました。美容師一家に生まれ、幼少期から当たり前のように美容師を目指していたというAkiさんの学びに対する姿勢、そして行動力は、まさに売れるスタイリストそのもの。多くのヒントが詰まったAkiさんへのインタビューを早速お届けします。
Defi WEBサイト http://defi-1.p2.weblife.me/
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Aki(アキ)
サロン名:Defi(ディフィ)
役職:スタイリスト
美容師歴:10年
1985年生まれ、京都府出身。関西美容専門学校卒業後、東京・京都でのサロン勤務を経て2012年にDefiへ入社。同年にスタイリストデビューし、1年で月間指名売上100万を達成。カワイイスタイルから大人スタイルまで、丁寧なカウンセリングによる幅広いスタイル提案を得意としており、多くの顧客から支持を集める。現在はサロンワーク以外にも撮影等精力的に取り組み、月間指名売上150万を達成している。
私の両親は美容師で、家族や親戚も美容師ばかり、本当に美容師一家という環境で育ったせいか、幼稚園ぐらいの時には「私も美容師になるんだ」と思っていました。普段からずっと両親が働くサロンに私もいましたから、「大人はみんな美容師になる」と勘違いしていたぐらいです。結婚・出産してから女性が働くことも当たり前だと思っていましたね。そういえば私、子供の頃はカットウィッグで人形遊びをしていたんですよ。普通の人形よりもカットウィッグの方が毛量も多くて、色々ヘアアレンジができて楽しかったんです。ひょっとしたら私がヘアアレンジ好きになったのはその時の影響があるのかもしれませんね。
「美容師になりたい」という気持ちがより高まったのは中学生の時です。きっかけは母が見せてくれたヘアショーのビデオでした。ある東京のサロンがブライダルのヘアショーを行っている内容だったのですが、「美容師ってこんなにすごいんだ…」と衝撃を受けたことを覚えています。それから早く美容師の仕事がしたくなって、ヘアショーに出演していたサロンへ「働かせてください!」って直接電話しちゃいました。確か当時は中学2年生ですね。サロン側もびっくりしたみたいで、「まずは高校へ行ってくださいね」と言われましたけど(笑)。高校生の時は母に連れられて、よく美容のセミナーに参加しました。周りはサロンオーナーや大人の美容師ばかりでしたが、「今のうちからいろんな人に顔を売っておきなさい」と母からよく言われたものです。セミナーの先生からは「美容師は美容のことだけ勉強しておけばいいわけではない、一般的な学業も必要になるから、しっかり勉強しておきなさい」と言われました。それもあって、美容学校に入ってからは夜間短大にも通っていたんです。ダブルスクールはなかなか大変でしたが、友人も増えましたし、何かを学ぶことや忙しいことは好きな性格なので、卒業までの期間はとても充実していましたね。
美容学校卒業後は東京のサロンへ就職しました。中学生の時にビデオを見て電話をかけた、あのサロンです。そこで美容師として働くことは私にとって夢でもありましたし、なんとか縁あって入社することができました。サロン自体は技術にこだわりをもった、アップスタイルが強いいわゆる老舗サロンです。大体3年でスタイリストデビューするカリキュラムがあったんですけど、正直レッスンはきつかったですね。ひたすらマメロッドを早く巻いていたこともありましたし…。「これ、役に立つのかなあ…」と思っていたこともありましたが、おかげでワインディングはかなり上達しましたし、ワインディングコンテストで入賞することもできました。何事も基礎は大事ですよね。ウィッグはとにかくよく切りましたよ。1台で3スタイル切って、1日2台使っていました。多い時で1か月に50台ぐらい、デビューまでに300台は切ったと思います。お給料はほとんどウィッグ代に使いましたし、サロンからウィッグ代を借りていたぐらいです。そうした融資制度や社員寮など、サロンの福利厚生がしっかりしていたので大分助かりましたね。セミナーには毎週のように参加していました。外部での集合セミナー以外にも店内で行う自店セミナーも多くありましたので。1週間の内、1日はほとんどセミナーで予定が埋まっていました。
そんな感じでレッスンに明け暮れ、デビューを目指していたんですけど、ふと「このままでいいのかな…」と思ってしまいました。サロンが毎日とても忙しい状態で、肝心のサロンワークでは一人一人のお客様としっかり向き合えなくなったんです。日々仕事とレッスンをこなしているだけなので、一度サロンを離れて自分をリセットした方がいいのでは、と。ただ、すぐに辞めてしまうのは自分に負けるようで嫌でしたから、スタイリストデビューまでのカリキュラムはきっちりこなし、デビュー合格した直後にサロンを退職しました。
その後、京都の実家に戻ってしばらく両親の仕事・サロンを手伝いながら、地元関西で就職活動を始めました。やっぱり私は関西人ですから、関西で働きたいという気持ちもずっとあったんですよね。それからネットで「美容師・求人」とか検索しているうちに、Defiの求人を見つけたんです。離職率が低いサロン、と紹介されていたので、「このお店ならお客様やスタッフ・オーナーとの距離も近くて、充実した仕事ができそう」と思って、まず見学の申し込みをしました。実際に行ってみたら見学じゃなくて、いきなり面接だったのでびっくりしましたけど(笑)。面接で印象に残っているのは、オーナーの大石に「どんなスタッフを求めていますか?」と質問したら、「チームワーク抜群のスタッフ」と答えが返ってきたことです。普通、オーナーからしたら「売上をしっかり上げられるスタッフ」とかじゃないですか。チームワークを求めるという大石の言葉は心に響きましたね。「私もここで働きたい!」と思い、Defiに入社することとなりました。
東京のサロンでスタイリストデビューまでいきましたが、実際にスタイリストとして入客し始めたのはDefiに入ってからです。新規のお客様にもよく入らせていただき、多い月は90名ぐらい担当したと思います。ただ、最初は全然手応えがなかったです。東京の時と比べると、大阪のお客様とは会話や接客も微妙に違いますし、色々とギャップに苦しみましたね。技術面や接客面など、結構失礼なサロンワークになっていたんじゃないかと思います。当時のことを思うと、お客様のところへ菓子折りを持ってお詫びにいきたいぐらいです…。
売上に変化が出てきたのは半年ぐらい経ってからですね。お客様との間合いやポイントも掴めるようになり、サロンワークが楽しくなりました。余談ですけど私、アルカリカラーってDefiに来てから使うようになったんですよ。東京のサロンは酸性薬剤しか使っていなかったので、カラーといえばマニキュアばかりでした。Defiに来てからは「ファッションカラー?グレイカラー?ホイルワーク?」みたいな感じで(笑)。アシスタントと一緒にカラーの勉強やレッスンをするうちに「ヘアカラーってこんなに楽しいんだ!」と感動したのをおぼえています。
自分にとって一番助けられたことは、オーナーと月1回行っている面談でした。これが毎回学びの連続で、自分では気付かないことを的確にアドバイスしてくれるんです。カウンセリングや数字の上げ方、提案力など…。あまりにもズバズバ言われて泣いたこともありましたよ(笑)。でも本当にその通りだったので、これも学びだと素直に受け入れて努めるようにしたんです。そのおかげで、1年後には売上100万、その2~3カ月後には150万を達成することができました。
最近はありがたいことに、WEBのスタイル写真を見て新規指名をされるお客様も増えてきましたね。撮影自体はDefiに入ってから始めましたが、大体2か月に1回ペースで撮影しています。撮影するようになってからは、色々なヘアスタイルをよく見るようにもなりました。「あのサロン・スタイリストのスタイルは可愛い」とか聞くと、すぐにネットやスマホでホームページやブログをチェックしますし、スマホにスタイル写真を保存していつでも見れるようにしています。いつの間にか私のスマホ、データがスタイル写真だらけになりましたよ(笑)。
今後のビジョンとしては、ママさんスタイリストとして活躍したいですね。結婚してからはオーナーと相談してショートタイム勤務になりましたので、20時には仕事を終えて帰宅し、食事を作る毎日です。まだ子供はいませんが、出産してからもしっかり働き、一生続けられる美容師を目指したいです。私の母がそうでしたし、私もその姿を見て育ちましたから。Defiには女性スタッフが多いので、これから結婚・出産ということも増えてくるはず。まずは私が先頭に立って、女性美容師が長く働ける環境を作れるようにがんばっていきたいと思います。